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別に会ふ気がなかつたから、と云ふ代りに、
「今日からお隣へ参りましたから、よろしく願います。」
そして、徹夜の仕事を連続していると、視神経の疲れが何よりの悪刺戟になることがのみこめてくる。もっとも、私は強度の近視のところへ、遠視が加わったから、メガネをかけても外してもグアイが悪いのである。それがメガネのツルを支えている鼻梁の疲れを代表者として頭の廻転に鈍痛を加えてくるのである。
男は一歩下つた。
また夕方、溪ぎわへ出ていた人があたりの暗くなったのに驚いてその門へ引返して来ようとするとき、ふと眼の前に――その牢門のなかに――楽しく電燈がともり、濛々もうもうと立ち罩こめた湯気のなかに、賑やかに男や女の肢体が浮動しているのを見る。そんなとき人は、今まで自然のなかで忘れ去っていた人間仲間の楽しさを切なく胸に染めるのである。そしてそんなこともこのアーチ形の牢門のさせるわざなのであった。
房一は思はず笑ひ出した。
「おい、ビールをくれ」と、しやがれた低い声で云ふと、土間の安テーブルの前に腰を下した。
わたしはこの婆さんにいろいろの話を聞かせて貰いました。就中なかんずく妙に気の毒だったのはいつも蜜柑みかんを食っていなければ手紙一本書けぬと言う蜜柑中毒の客の話です。しかしこれはまたいつか報告する機会を待つことにしましょう。ただ半之丞の夢中になっていたお松の猫殺しの話だけはつけ加えておかなければなりません。お松は何でも「三太さんた」と云う烏猫からすねこを飼っていました。ある日その「三太」が「青ペン」のお上かみの一張羅いっちょうらの上へ粗忽そそうをしたのです。ところが「青ペン」のお上と言うのは元来猫が嫌いだったものですから、苦情を言うの言わないのではありません。しまいには飼い主のお松にさえ、さんざん悪態あくたいをついたそうです。するとお松は何も言わずに「三太」を懐ふところに入れたまま、「か」の字川の「き」の字橋へ行き、青あおと澱よどんだ淵ふちの中へ烏猫を抛ほうりこんでしまいました。それから、――それから先は誇張かも知れません。が、とにかく婆さんの話によれば、発頭人ほっとうにんのお上は勿論「青ペン」中じゅうの女の顔を蚯蚓腫みみずばれだらけにしたと言うことです。
「さあて、帰るかな」
と、新聞紙から眼をはなした練吉は、一寸正文の邪魔になりさうな足をひつこめただけで、別に行儀のわるい姿をなほさうともせずに、又新聞を持ち上げながら、
焼香が済むと別室へ案内された。だが、こゝでも各自に大体自分の坐らせられる席を心得ていながら、すぐには通らうとしなかつた。で、神原直造が一々その人の前に行つてそれぞれの席へ順に案内した。正面の床柱の前には大石正文が猫背のまゝ顎を突き出した恰好で坐つた。その次は上町の醤油屋の主人だつた。正文と等位置の左手へかけては堂本が坐つて居り、大石練吉がその隣にいた。二三人置いて庄谷の顔が見えた。その辺りが上座だつた。
関西訛なまりの特長のある呼び方で、彼はちよつと頭を下げた。それはお辞儀といふよりも、何か強談を持ちかけるといつた工合の、一種の身構への感じられる強きつい調子だつた。
「あゝ、えらかつたなあ」